全駐留軍労働組合の歴史

 日本社会の雇用形態は多くの民間企業にみられるように『雇用主=使用者』という方式がとられています。米軍基地で働く基地従業員の場合には『雇用主≠使用者』、法律上の雇用主が日本政府、使用者は在日米軍という方式がとられています。
 昭和20年の終戦から日本国内では、絶対的な権力をもった占領軍により、国民は厳しい管理下におかれることになりました。そうしたことから占領軍に反抗する、あるいは批判的な活動は取り締まることになりましたが、その反面、労働組合育成政策など民主化助成政策がとられることになったのも事実です。

 基地従業員は戦争の勝者と敗者といういびつな関係から、劣悪な条件の下での労働を強いられましたが、人として働く者として自分たちの労働条件改善、経済的地位を高めるため、1946年に全駐労の前進組織である【全国進駐軍労働組合同盟(全進同盟)】が結成されました。
 この頃、産別系の【全日本進駐軍要員労働組合(全日本)、後の全連合軍要員労働組合(全連労)】や、中立系の【全連合軍従業員組合総連合】なども結成されています。

 その後組織拡大に努め、1951年には「全進同盟」と「全連労」との組織合同も行われています。1952年に平和条約・日米安保条約が発効され、占領下での労働が終わり、進駐軍労働から駐留軍労働に移行したことを契機に「全進同盟」は名称を【全駐留軍労働組合(全駐労)】と改称しました。

 当時、戦闘部隊の引き上げ、岸首相・アイゼンハワー大統領の共同声明などにより、基地労働者は数年で14万人余りが人員整理を余儀なくされる結果となりました。
 こうしたことを背景に駐留軍労働者の生活向上と権利を守るため、1959年に「全駐労」は【日本駐留軍労働組合(日駐労)】、【関西駐留軍労働組合(関西駐労)】との組織合同を行い、沖縄を除く本土での駐留軍労働者の統一を完成することができました。
 (組織数15地区本部、45,000名)

 一方、米軍の直接統治下におかれた沖縄でも、基地従業員は劣悪な労働を強いられていましたが、1961年に【全沖縄軍労働組合連合会(全軍労連)】を結成、1963年には【全沖縄軍労働組合(全軍労)】に改称。1972年の本土復帰を迎えるまでの間、本土とは異なった法のもとで活動していました。
 (組織として22支部、22,000名)

 本土の「全駐労」と沖縄の「全軍労」は渡航制限など厳しい状況の中で、1964年に組織交流を開始することになりました。1968年には沖縄の即時無条件前面返還、基地労働者の労働条件改善など共通要求の獲得を目的として「駐労共闘会議」を発足させたのがこの時期です。

 両組織の共闘関係の積み重ねにより、1978年に「全駐労」と「全軍労」の組織合同を実現させ、基地労働における唯一の全国組織【全駐留軍労働組合】として結実しました。

 全駐労は、さまざまな労働条件を勝ち取ってきました。
 たとえば、皆さんが当然の権利として取得している「夏季休暇」は1991年に、また、「年末年始の祝日」は1995年に、組合(=組合員の皆さん)で勝ち取った、比較的新しい権利なんです。
 全駐労では、このような労働条件の向上に向けて、日々運動を続けています。ここでは、これまでに勝ち取ったものの一部をご紹介いたします。
1996年
  1. 基本給表(3)夜間勤務手当48時間制に限る廃止。
  2. 特殊作業手当を増額させる。
  3. 基本給表1の2号俸に20号俸を、1の3等級に21号俸を新設させる。
1997年
  1. 基本給表の低位等級の欄に号俸を増設させる。
  2. 特殊作業手当てを増額させる。
  3. 介護休業制度を導入させる。
1998年
  1. 12月29日を祝日とさせ、夏季休暇取得期間を5月1日からとさせる。
  2. 駐留軍関係離職者等臨時措置法(臨措法)を2003年5月16日までの5年間延長させる。
  3. 特殊作業手当を国家公務員並に増額させる。
  4. 通信・公安関係授業員の夜間勤務手当を国家公務員に準じて改正させる。
  5. 基本給表の低位等級の欄に号俸を増設させる。
1999年
  1. 基本給表の低位等級の欄に号俸を増設させる。
  2. 一時的昇格および派遣制度の導入
  3. 傷病休暇の無給在籍期間を延長させる。(11月29日調印)
    傷病休暇90日後の無給休暇の期間180日を1年6ヶ月に延長。
2000年
  1. 週勤務時間削減問題を解決。(3月10日調印)
    週勤務時間を48時間から44時間に削減させ、週40時間を超える44時間までの勤務に対しては時間調整給、週44時間を超える勤務に対しては時間外勤務給を支給する。
  2. 新特別協定の上限従業員数23,055人を確保。(9月11日調印)
2001年
  1. 新特別協定の発効。(2002年4月1日〜2006年3月31日まで)
  2. IHA従業員の給与支払事務を日本側に移管させる。
  3. 再雇用制度調印に先駆けて6月定年退職者を特別措置により再雇用させる。
  4. 再雇用制度に関する付属協定を調印させる。(11月1日)
2002年
  1. 労災発生時に労基署の立入検査を認めさせる。
  2. 柔道整復師からの証明書を診断書とさせた。(7月1日)
  3. 多胎妊娠の産前休暇を労働基準法に準じて10週から14週に延長させる。(8月15日JLAC合意、22日調印、同日発行)
2003年
  1. 特別援護金制度を認めさせる。
  2. 駐留軍関係離職者等臨時措置法(臨措法)を2008年5月16日までの5年間延長させる。
  3. 育児・介護の勤務時間短縮の延長。
2004年
  1. 母性保護、育児・介護に関わる労働基準法 3件
  2. 育児・介護休業法 4件
  3. 男女雇用機会均等法 4件
2005年
  1. 現行の5年から2年に短縮した、新特別協定を締結(2006年4月1日〜2008年3月31日まで)
2006年
  1. 「継続雇用制度に係わる協定書」 防衛施設庁と締結(5月10日)
  2. 日米間で2006年6月期定年退職者の契約雇用制度の手続きに関する「了解覚書」締結(5月25日)
  3. 「継続雇用制度」に関する、契・協約改正の付属協定が調印される。(9月21日)