No10「ポリネシアのふたご座」<ポリネシア>
冬の星座の中で、ふたご座の中のカストル・ポルックスという2つの星は、一対のものとして世界各地で「夫婦」「兄弟」などの星座となっているケースが多いようです。 ポリネシアではこの二つの星は、現在の星座と同じ双子の星座という設定で、次のような悲しいお話の主人公となっています。 お話の主人公の兄弟は南太平洋のタヒチ島から1000キロ離れたボラボラ島に住んでいたそうです。大変仲がよかったのですが、仲がよすぎて他の子供とまったく遊ばなかったのです。ある夜、二人の両親は相談して、「このままでは二人が立派な大人になれない」と、二人のうち一人を里子に出すことを決断しました。 この相談を聞いてしまった兄弟は離れ離れになりたくないと、二人で家出をしました。二人はボラボラ島から船で逃げたのですが、その後を二人の母親が追いかけてきました。 何度も、つかまりそうになりながら、最 後にタヒチ島まで逃げて、島の高い山の 中に隠れました。しかし、やがてこの隠 れ家も母親に見つかってしまいました。 もう、逃れられないと知った兄弟は、空 に飛び上がり、星となったそうです。そ れが、カストル・ポルックスなのです。 この話は南太平洋の島々で少しづつ違っ た内容で伝承されているようです。今回 紹介したのは、タヒチから5000キロ 程はなれたニュージーランドに住むマウ イ族につたわってきた話の筋です。

No9 「アヌビス神の星」<エジプト>
冬の夜空に輝くシリウスは古代のエジプトでは重視され、「アヌビス神の星」として神格化されていました。 「エジプトはナイルの賜物」という言葉があります。この言葉はナイル川が上流の肥沃な土砂を運んでくることにより、農耕が始まり、エジプトに文明が起こったことを意味しています。当時の人々にとっては1年の決まった季節にあるナイル川の氾濫の時期をあらかじめ予測して、農耕の準備を始めることは生きていく上で必要不可欠なことでした。長い年月のうちに人々は、明け方前に東の空に明るいシリウスが輝き始める日がナイル川の氾濫の時期を知る目安になることに気づくようになりました。やがて明け方前にこの星が輝き始める日を新年として暦が作られるようになり、世界最古の太陽暦が生まれたのです。ちなみにパソコンソフトで5000年前のエジプトの星空を再現してみると、シリウスが明け方前に見え始めるのは現在の暦の7月中旬にあたります。 さて現在の星座のルーツは古代バビロニア(メソポタミア文明) にあるものが多いのですが、シリウスのあるおおいぬ座について はエジプト起源ではないかと思われます。理由としては以下の2 点があげられます。 ・ バビロニアではおおいぬ座の位置に「矢」の星座があった。 ・ アヌビス神というのは山犬の顔を持った神様だった。 ちなみにアヌビス神は古代エジプトではナイル川の氾濫を“番犬” のように予告するという位置付けの他に葬式、墓守の神として古代 の壁画に姿を残しています。

No8 「白虎」<中国>
「竜虎相うつ」という言葉をご存知でしょうか?意味は「いずれ劣らぬ英雄豪傑が勝敗を争うこと」を意味ですが、ここにでてくる竜虎とは、「風水」などでおなじみの方角のシンボル、「四神」の一つで東方の守護神「青竜」と西方の守護神「白虎」のことです。このライバルは、まったく対等なのではなく、竜が常にNO1で王者なのに対し、虎はNO2 のハングリーな挑戦者の位置付けなのです。  昔の中国では、四神の動物達の姿を誕生日の星座の周辺に描いていました。星空は「青竜」がおとめ座・てんびん座・さそり座・いて座の領域で2個の一等星(アンタレス・ スピカ)を含む雄大な星座であることは以前お話しましたが、星空の「白虎」はそれに対抗できる星座なのでしょうか?  ちょうど今の季節、宵の頃に「白虎」の全身を見ることができます。「白虎」は3つの一等星(ベテルギウス・リゲル・アルデバラン)を含み、オリオン座・おうし座・おひつじ座・アンドロメダ座と一等星の数だけみると、青竜を凌ぐ華やかさとなっています。  その星座はオリオン座を顔、胸、前足としています。オリオンの三つ星が胸でその上に顔があり、オリオンの足の部分を前足にしています。まさに獲物に飛びかかろうとしている姿なのです。この上半身の華やかさにくらべるとここから西へ長く続く胴と、後ろ足のアンドロメダ座付近は少し地味になりますが、まったく星座としては青竜に見劣りしません。  しかしながら、青竜が、春から夏へと向かう季節の華やかさの中で見える星座なのに対して、白虎は秋から冬へと向かう季節の暗い印象をそのまま背負っているためか、やはりNO2の座を脱することができないようです。  こうしてみると「白虎」のイメージはどこか「俺にかなうものがない」と豪語しながら、小さな「さそり」に刺し殺された「オリオン」に合い通じるものがあるのかもしれません。

No7「マルドゥク座」<メソポタミア>
古代メソポタミアで語りつがれた神話に登場する神々の中で、最高の地位にある神はマルドゥクと呼ばれる神です。マルドゥクは他の神々よりはるかに背が高く、すべての点でぬきんでていて、手足は考えもつかないほどすばらしくできていたといわれています。何より目は四つ、耳も四つ、唇が動くと火が吹き出したといいます。とにかく人間の想像を超えた容姿をしていたようです。  メソポタミアの神話はアプスー(地下の淡水の化身である男神)とティ アマト(海の塩水の化身である女神)を創造神として他の神々が生まれて くるところから物語が始まります。やがて子孫である新しい神々に対して、 創造神のアプスーが「騒々しい」と反感を持ち、彼らに「騒ぎをやめさせ る」計略を立てたことから、神々の間に大戦さが繰り広げられることとな ります。  新しい神の一人、エアは先手を打って、アプスーを深い眠りにおとしい れ、殺してしまいますが、夫を殺されたティアマトは復讐を誓い、怪物軍 団を組織します。ティアマトと怪物軍団によってエアを始め、新しい神々 は次々と破られていきます。ここでエアの息子であるマルドゥクの登場と なります。マルドゥクは死闘の末、ティアマトと怪物軍団を倒し、その功 績により最高神の地位を手に入れるのです。  さて、古代のメソポタミアでこのマルドゥクの星座は、現在のペルセウ ス座の位置と重なります。考えてみれば、ペルセウスと戦った化けクジラ ともカイトスとも言われる化け物はその別名を「ティアマト」というので すが、この別名はギリシャ神話の「ペルセウス VS 化けクジラ」はメ ソポタミアの神話の「マルドゥク VS ティアマト」が原型であること を表しているのかもしれません。

No6「プレアデスの両手座」<アラビア>
夜空の星々で名前のついている星(1等星〜3等星)、101について、その語源を調べてみると、ベガ、アルタイルなど実に69個がアラビア語起源となっているのをご存知でしょうか? 4世紀の後半から15世紀のコペルニクスの登場にいたるまで、自然科学の発展という観点からみればヨーロッパは長い暗黒の時代でした。この時期ギリシャ・ローマの時代から伝えられた自然科学を継承し、発展させたのは現在の中東アジアつまりアラビア人たちでした。彼らが天体観測をする際に目印となる星にアラビア語の名前をつけたものが現在まで引き継がれているのです。 しかしながら、アラビア人たちはギリシャのプトレマイオスが作った星座そのものを増やしたり変えたりすることにはあまり関心がなかったようで、アラビア起源の星座というのは現在の星座にははいっていません。ただ今回ご紹介する「プレアデス(アラビア語でア ル・トゥラヤー Al Thurayya)の両手」は それに近いものといえます。 「プレアデスの両手」は図のようにプレア デスを中央にして、右手をカシオペア座、 ペルセウス座に左手をおうし座からくじら 座へと伸ばす全長120度にわたる壮大な星 座です。この星座を構成する星々には、 「手首」、「うで」、「ひじ」などの名前 がついています。  10月の午後9時ごろには、この「プレア デスの両手」は東の空に見えています。そ の様子は巨人が両手でつかみかかってくる ような不気味なイメージがありますが、く じら座やペルセウス座をたどれない人にと ってはこの星の並びはいい目印になるかも しれません。

No5. 「さそり人座(Scorpionman)<バビロニア>」
現在使われている星座の起源をたどっていくと、古代バビロニア(現在のイラク)にいきつきます。バビロニアで作られた原型がフェニキアを経由してギリシャへ伝播し、ギリシャ神話がくっついて、現在おなじみの星座の多くができあがるのですが、現在伝わっている姿が100%原型をとどめている訳ではありません。9月の宵のころ、南西の空に位置する「いて座」の原型は、実は下図のような「さそり人座」だったのです。  現在のいて座はギリシャ神話にでてくる半人半馬のケンタウルス族の一人ケイローンが弓を射ている姿で表されています。このケイローンはヘルクレスの武術の師匠にあたるとされています。ヘルクレスは「12の冒険」をしたことでギリシャ神話随一のヒーローの座にある人物です。  さてこのヘルクレスにもバビロニア神話にその原型があり、「ギルガメッシュ」がそれにあたるとされています。このギルガメッシュの冒険に“半人半さそり”の「さそり人」の夫婦が登場するのです。 バビロニア神話は現在断片的にしか残されていませんが、後に作られたギリシャ神話に大きな影響を与えたと思われます。その伝播の中で、砂漠の民であるバビロニア人の考えた「さそり人」になじめなかったギリシヤ人が、より親しみの持てる「馬人=ケンタウルス族」を創作したものと思われます。 第4回目は、現在の「はくちょう座」のところに1627年にドイツのシラーがつくった星座です。

No4.「聖女と十字架座他」<ドイツ>
はくちょう座をはじめとして、古代ギリシャからひきつがれた星座であるプトレマイオスの48星座は1920年代に現行の星座が決定されたとき、由緒あるものとして優先的に選ばれました。これは、それ以前に作られた星図のほとんどにこれらの星座は登場していたことが最大の要因です。  しかしながら、西洋の星図の中にはこうしたプトレマイオスの48星座を含まない星図が存在します。それが、1627年にシラーが作った星図です。シラーは古くからの星座をすべて、キリスト教にちなんだ独自の星座と置き換えてしまいました。この星図では、クリスマスの時期に宵の西の空に輝く十字架として親しまれてきたはくちょう座は「聖女と十字架」座となっています。  シラーはおそらく生真面目な人で、はるか昔にキリスト教にとってかわられたゼウスを初めとするギリシャの神々が未だに支配している形になっている天球の状況に満足できなかったものと思われます。ローマ帝国でキリスト教が国教となった4世紀以降の早い段階でこの考え方が広まってもおかしくなかったのですが、当時のヨーロッパのひとびとの古代ギリシャへのあこがれの気持ちがこうした動きに歯止めをかけていたものと思われます。ちなみに黄道12星座はキリストの12使徒、アルゴ座はノアの箱船とされています。  幸いなことに、シラーの星図はそれ以降の星図に影響を与えることはありませんでした。当時の人々も天球に異教の神々の存在を一切許さないというのは、やはり行き過ぎだと考えたのでしょう。

No3.「月を食うムカデ(皆既月食)」<中国>
7月16日の皆既月食にちなんで特別編として古代人が残した 月食にまつわるお話を紹介いたします。     月は天の神様の娘でした。月は夜出かけては天宮の星々の間をこの世を照らしていました。地上の人間も、父である天の神様もこんな月が大好きでした。  一方、ムカデはみんなの嫌われ者でした。昆虫たちにとっては自分たちを捕まえて食べる恐ろしい存在で、人間にとっても足に噛み付くムカデを好きになれる訳がありません。  ある晩、ムカデは餌を探しに出かけて、草むらのバッタやコオロギを捕まえようとしたのですが、月の光があったために気づかれ、逃がしてしまいました。おまけに人間に見つかって危うく殺されそうになりました。何とか尻尾を傷つけられただけで逃げることができましたが、このことでムカデは月を恨むようになりました。とんでもない逆恨みなのですが、この日から執念深いムカデは天に上って月をかみ殺そうと考えるようになりました。 ところが、高い木に登っても、高い山に登っても天に通じる道はみつかりません。がっかりして家に帰ると、女房のムカデから馬桑樹という木がこの世界で一番高いときいて、そのてっぺんから天宮に上ることにしました。  うまく馬桑樹のてっぺんから天宮に上ったムカデは、月に飛びかかり思いっきり噛み付きました。月は大声で泣き出しました。天の神様はあわてて家来たちにムカデ退治を命じました。地上の人間たちも月が真っ赤に染まる(この部分が皆既月食の描写)のを見て驚き、ドラ・太鼓・爆竹・鉄砲など大きな音の出るものを鳴らして、ムカデを追い払おうとしました。この様子に慌てたムカデはあわてて馬桑樹を滑り降り、岩の陰に隠れました。  神様は馬桑樹を切り倒し、家来のクモに命じてこれから大きくなる馬桑樹の梢をくくってそれ以上伸びないようにさせて、そしてまた家来の雷公に命じて雷を落としてムカデを八つ裂きにするように命じました。これによって、ムカデは雷を恐れるようになり、また馬桑樹は昔のように大きくならなくなったそうです。

No2「マエナルスさん座(Mons Maenalus)」<ポーランド>
「古代人からのメッセージ世界編」第2回目は、17世紀のポーランドの天文学者ヘヴェリウスが作った「マエナルスさん(山)座」です。 現在、使われている88星座で地名に関するものは、日本から見えない「テーブルさん(山)座」(南アフリカ共和国内の山)だけですが、過去にはギリシャ南部の南部の山「マエナルス山」も星座になっていました。左図のうしかい座の足元の岩が「マエナルスさん座」にあたります。この星座のすぐ下にはおとめ座があります。  なぜ、マエナルス山なのかというと、この山に足をかけているうしかい座が「対決」している「こぐま座」はもともとアルカスという人間だったのですが、(おおぐま・こぐまの神話参照)そのアルカスの出身地がギリシャのアルカディア地方、つまりマエナルス山のある地方なのです。この星座の作者は牛飼いと熊の出会いの場所を星座にすることで、星座の世界のドラマを演出した のでしょうか? ちなみに、この星座を作ったヘヴェリウスは、17世紀に独自の観測に基づく恒星図を出版する中で、この星座を含め10個の星座を新設しました。1920年代に行われた星座選定のための会 議ではそのうち7個(こぎつね、こじし、たて、とかげ、やまねこ、ろくぶんぎ、りょうけん)が現行の星座として採用されていますが、この星座については不採用となってしまいました。このときの星座選定の基準としてトレミーの48星座(今回名前のでた星座でいうと、おおぐま、こぐま、うしかい)は無条件で採用して、それ以外のものについてはその星座が普及しているかや、世界中で使用するのに適切か(つまり特定の国のために作られた星座は除く)といった基準で選ばれたようです。 「マエナルスさん座」がどんな理由で星座にならなかったのかはわかりませんが、選考委員たちに、この星座を入れたいと思うような印象を与えていなかったことは確かです。

No1.「青竜」<中国>
今月から、2000年1月まで連載しておりました「こだいじんからのメッセージ」を今月から新たに「古代人からのメッセージ世界編」として、連載を再開いたします。「世界編」では現在定められている88星座だけでなく、世界各地で作られた星座を季節に合わせて随時紹介していきます。  1回目は、中国の巨大星座「青竜」です。 春から夏の季節にかけて、宵の星空に2匹の竜がいるのをごぞんじでしょうか?一匹は北天の北極星の周囲に位置する 「りゅう座」です。これはギリシャ神話ではヘスペリデスの森で黄金のりんごを守っていた竜がモデルとされ、古くからある由緒正しい星座です。ただ特別明るい星があるわけでもないので、あまり目立つ星座ではありません。今回ご紹介する「青竜」はこの「竜」ではありません。  青竜(蒼竜(そうりゅう)ともいう)というのは昔、中国や日本で使われていた星座の一つなのです。その大きさは夜空の半分の領域を占めるほどのもので、2個の1等星を含み、星の並びもわかりやすいのですが、残念なことに現在使われている星座には入っていません。現行の星座でいうと誕生日の星座である「おとめ座」「てんびん座」「さそり座」「いて座」にまたがる巨大な星座なのです。  この巨大な星座は厳密にいうと中国の星座にあたる「角(かく)」「亢(こう」「氏(てい」「房(ぼう」「心(しん)」「尾(び」「箕(き」という7つの星宿(小さな星座)を合わせた呼び名です。「角」は竜の角で「おとめ座」のスピカがこの中にあります。また「心」は竜の心臓で「さそり座」のアンタレスを含んでいます。 青竜は、現在「風水」などでおなじみの方角のシンボル、「四神」の一つでそのうちの東方の守護神です。四神のあとの3匹つまり「玄武(かめと蛇の集合体」「朱雀(赤い鳥)」「白虎(白い虎)」も、同じく星座になっていますが、これについてはまたの機会に紹介いたします。  青竜は他の3匹よりも重く見られ、「四神」の代表格ともいえます。中国では「竜」の模様は昔、皇帝の所有物にしか使えなかったというほど、高い位置付けの生物(空想上ではありますが)だったのです。この「竜」を方角と四季で重要とされた「東」、「春」のシンボルとしたのです。また「青」というのは「春」イメージカラーなのです。(青春という言葉はここからきています。)