No20 「トナカイ座(Tarandus vel Rangifer)」(フランス)
今月の「古代人からのメッセージ世界編」はフランスの天文学者ピエール・シャルル・ルモニエ(1715〜1799)が設定した星座「トナカイ座」です。
12月といえばクリスマス、今月はサンタクロースを乗せてやってくるトナカイの星座です。ただ、この星座の製作者のルモニエはサンタクロースにちなんだ星座を作ろうとしたわけではなく、彼が参加したスカンジナビアへの観測遠征を記念してこの星座を作ったとされています。
 このスカンジナビアへの観測遠征はフランス人のモーベルテュイを隊長とする地球の正確な形を実測するためのもので、ルモニエは隊員の1人でした。この極北の地への遠征はルモニエにとって忘れがたいものとなり、後にフラムスティード星座の第2版を出版するという仕事にメシエ天体で有名なメシエとともに携わった際に、北天のカシオペア座と北極星の間に、遠征のときに目にした極北の動物のトナカイを書きいれたようです。
このことだけを見るとルモニエは、自分の思い出を星座にしてしまえる、いかにもあつかましい人物のように思えますが、実際にはその反対で誠実でゆかしい人柄であったといわれています。
彼の人柄はフラムスティード星図の中で従来の星座と区別できるように自分が書きいれた星座を遠慮がちに点線で書いたり、この星座を取り入れたことの理由として、自分ではなく、隊長のモーベルテュイや同僚の隊員であった数学者クレーローの功績を称えたりしているところからも伺えます。
ただこうした控えめな姿勢が災いしたためか、後の時代でこの星座は一般的なものとはならなかったために現行の88星座の中に含まれることはありませんでした。

No19「グラ座Gula)」<メソポタミア>
今月の「古代人からのメッセージ世界編」は古代メソポタミア起源の星座「グラ座」です。 四大文明のひとつ古代メソポタミアでは、現在使われている星座の原型が作られた場所です。特に黄道12星座はすべてがメソポタミアでその原型ができたと考えられています。 今回紹介するグラ座はみずがめ座の原型といわれているものです。グラはメソポタミアの水の女神であり、病気やけがなどを治す治癒の女神ともいわれています。メソポタミア地方に残る石標の彫刻では、水瓶を持ち上げて直下に水を注ぐ人物の姿として描かれたり、椅子に座っている女性とその膝元にうずくまる犬の姿で描かれたりしています。 前者はまさに、みずがめ座のイメージの原型といえるものです。後の時代、水の女神グラから現在の水瓶(酒?)をもつ美少年ガニュメデスに変わったのは、現在の星座が完成したギリシャで美少年を好む風潮があったことと関連があるかもしれません。 また後者は小さな犬の像をグラに捧げると、病気の予防や治癒に効果があるといういわれを表すもので、椅子に座る女性のイメージはみずがめ座というより、なぜかカシオペヤ座の星座絵の原型のようにも見えるのは、偶然の一致なのでしょうか。 さて水の女神の星座がこの場所にあるのは、メソポタミア地方が冬の時期に雨季を迎える乾燥地帯であったことと関連があります。星座が作られた紀元前3000年ごろ、メソポタミアの人々は太陽がこの星座のあたりにある1月から2月に降水量のピークがあると気づき、天の水瓶の星座をこの場所においたのです。ちなみに周辺に、やぎ座、うお座、みなみのうお座、くじら座と水に関係の深い星座が多いのも同じ理由です。

No18「子の星」<日本>
昔の日本では、方角を表現するとき、東西南北以外に干支(えと)で方角を表す習慣がありました。干支の最初「子(ね)」は北の方角を意味し、「子の星」とは常に真北の空にある北極星のことなのです。  北極星が真北の空で不動の位置にあるというのは洋の東西を問わず、庶民の間で一般に知られています。厳密にいえば北極星は、天球の日周運動の中心からほんのわずかのずれがある(現在は1度以内)のですが、日本に伝わる伝承の中に北極星がほんのわずか天の北極からずれていることを発見するという話があります。 このお話では桑名屋徳三という名船乗りが登場し、その妻が、夜針仕事をしながら、障子の桟(さん)の隙間から見えている「子の星」が不動ではなく、ほんのわずか動く星であることを発見するという筋書きとなっています。 江戸時代の初期(西暦1600年代)には、北極星と天の北極のずれが3度近くあったため、ズレを発見することは今より容易であったとはいえ、こうした話は世界中に他に類がないことからも、江戸時代の日本の庶民の知識レベルが高かったことを伺うことができます。ちなみに、「子の星」が不動でないことを発見するのは徳三自身としている伝承もあります。

No17.「いざよい・立待月・居待月・寝待月・更待月(日本))
日本や中国では、西洋と比べると星よりも月を注目する機会が多かったようで、月について多くの異名があります。これは暦として太陰太陽暦(旧暦)を採用して、人々が月とともに生活していたことが大きな理由だと思われます。 月にちなんだ年間行事としては、何といっても「仲秋の名月」ですが、これは旧暦の8月15日の月を祭るものです。この風習は唐代(618〜907)から始まったもので、それが日本に伝わり、西暦900年前後には宮中での宴が始まったようです。 漢詩の中で「三五」「二八」という言葉を使う場合がありますが、これは掛け算を使った洒落で、「十五夜」、「十六夜(いざよい)」の名月をさす言葉です。 日本の「観月」の習慣は基本的に中国起源なのですが、日本人の好みとして、満月にこだわらず月の出からの月の姿を楽しんだようで、十六夜から月二十夜月までそれぞれ名前がついています。この名称は日没から月の出までの時間からきているもので、このように細かい名前がついているのは洋の東西を見渡しても日本以外にはないようです。

十六夜月・・・・いざよい⇒ためらいながら昇ってくるという意味
十七夜月・・・・立待月
十八夜月・・・・居待月
十九夜月・・・・寝待月(臥待月)
二十夜月・・・・更待月(ふけまちづき )

No16.「天市垣(てんしえん)」<中国>
みなさんは夏の南の星空に「天の市場」があるのをご存知でしょうか。昔、中国では現在へび座・へびつかい座として知られている領域がそのままこの星座の領域となります。中国では国の都城(首都)を構成する2大要素として「宮城」と「市場」が重要であると考えていました。政治の中心として「宮城」があり、経済の中心として「市場」があるのです。 この「市場」は現在の私たちのイメージよりもずっと広いものでした。中国の都市の内部では市場以外の場所に店舗を持つことは禁止されていました。また、市場は単なる物品交易の場だけではなく、ほかに飲食店・旅館・その他娯楽施設や刑罰を受けた罪人の処刑場所も含まれており、都城に住む市民の生活すべてがこの中にあるといってもいいほどでした。この天市垣にある星々は「東蕃(とうはん)」「西蕃(せいはん)」と東西の2区画にわかれています。含まれる星々には、中国内部の地域の名前など(「宋」「南海」「燕」「東海」「徐」「呉越」「斉」「中山」「九河」「趙」「魏」「韓」「楚」「梁」「巴」「蜀」「秦」「周」「鄭」「晋」「河間」「河中」)がつけられています。まさに中国全土から、人や物が集まってきているようすがわかると思います。  ちなみに政治の中心である「宮城」の星座「紫微垣」は北極星付近に星座となっています。

No15.「アンティノウス座(ANTINOUS)」<ローマ>
今回ご紹介するのは、ローマ起源の星座で、有名なフラムスティード星図に実在の人物として唯一姿を登場させてアンティノウス座です。  古代ローマ帝国は現在のヨーロッパ文明のルーツともいえる大帝国で、最盛時には地中海世界全域を支配していました。ローマ帝国はすぐ東にあるギリシャ文明に強い憧れをもち、積極的にその文化をとりいれていったので、神話や星座など、ギリシャのオリジナルのものをローマ風に変える程度で受け入れてしまいました。それゆえに現在使われている星座にローマ起源といえるものは一つもありません。ただローマ皇帝ハドリアヌス(西暦76〜138)の小姓のアンティノウスが星座として認められていた時期がありました。 アンティノウスは元々、小アジア地方出身の奴隷で、絶世の美少年であったことから皇帝ハドリアヌスの目にとまり小姓となり、皇帝のいくところに必ずアンティノウスがいるというほどの寵愛を受けました。西暦130年このアンティノウスに突然の不幸が訪れます。ナイル川湖畔のベサという町で川におぼれて溺死してまったのです。皇帝ハドリアヌスは深く嘆き悲しみ、アンティノウスを神々の列に加え、 彼を祀る神殿を3つもつくり、わし座のとなりにその 姿を星座にしたそうです。この場所にアンティノウス の星座ができたのは次のような理由が考えられます。 ・ その当時すでにギリシャ神話の大神ゼウスが大わしの 姿に化けて美少年ガニメデウスをさらっているような星 座イメージがあり、アンティノウスをガニュメデスにな ぞらえて独立に星座にした。 ・ ローマ皇帝のシンボルである鷲の星座のとなりに、愛  しいアンティノウスを配置した。 皇帝の個人的愛情で強引に作られたこの星座は、その後 天文学者の間ではあまり使われることはありませんでし た。その後、16世紀から18世紀までに作られた星図 では、ガニュメデスと混同されながらも一時的に復活す るのですが、19世紀になり、わし座の一部という位置 づけにもどり、再び独立した星座に戻ることはありませ んでした。 今月の「古代人からのメッセージ世界編」はメソポタミアの星の名前「ネルガルの星」です。

No14「ネルガルの星(Nergal's Star)」<メソポタミア>
今回ご紹介するのは、今月地球に最接近する火星に人類が“最初”につけた名称のひとつで「ネルガル(Nergal)の星」です。  ネルガルというのは、元々は古代メソポタミアの太陽神です。太陽神といえば、明るい、陽気なイメージを持ちますが、ネルガルはその反対で酷暑をもたらす暗く残酷な神なのナす。太陽神ネルガルは、戦争、病気、大洪水をも司り、病気、疫病、あらゆる不幸をもたらす疫病神として人々に忌み嫌われていたのです。ネルガルのイメージは常に人間の血に飢えている巨大な獅子であり、そのシンボルの星が“火星”だったのです。  ネルガルがこれほどまでに災厄の神となったのは冥府の女王エレシュ・キ・ガルと結婚したことにありました。この2人の結婚には次のようなエピソードがあります。 あるとき、神々の宴会で一時も冥界を離れられないエレシュ・キ・ガルの代理として出席した疫病の怪物ナムタルに対し無礼な振る舞いをした神がいました。それがネルガルです。冥界で報告を聞いたエレシュ・キ・ガルは烈火のごとく怒り、ネルガルを冥界に呼び出しました。この呼び出しに対してネルガルは配下の荒くれ者たちをつれて冥界へ乗り込み戦いが始まったのです。戦いはネルガルが優勢で、やがてネルガルはエレシュ・キ・ガルをとらえるため彼女の王宮にはいりました。エレシュ・キ・ガルはそこで、ネルガルに夫となり、一緒に冥界を治めてほしいと申し出たのです。ネルガルとしては彼女の命を奪ってもよかったのですが、戦いを繰り広げるうちに愛が芽生えていたのでしょうか、この申し出を受け入れたのです。この後、ネルガルは冥界の王となり、暴風雨、倦怠、疫病、不健康といった悪魔を従えるようになったということです。

No13.「朱雀(すざく)」 <中国>
以前にお話したとおり、中国の星座では黄道付近に、四神とよばれる方角の神が星座になっています。東の守護神、青竜は春・夏の星座、西の守護神、白虎は秋・冬の星座という具合です。今回の朱雀は南の守護神でふたご座からからす座までにまたがる領域に位置し、まさに今の季節、宵空にかかる星座なのです。朱雀とは赤い鳥のことで伝説上の生き物です。 キトラ古墳の石室の南面に今回見つかった朱雀の像は鮮やかな色彩で、躍動感を持ったイメージで描かれています。キトラ古墳は天井に天体図、四方の壁に四神の姿と古代人の宇宙観を如実にあらわしたものとなっています。私たちのご先祖さまは、春の夜空にこのような朱雀のイメージを重ねていたのでしょう。 今月の「古代人からのメッセージ世界編」は中国の星座「紫微桓」です。

No12. 「紫微垣(しびかん)」<中国>
今回ご紹介する「紫微垣」は北極星周辺の星空に位置し、数ある中国星座の中でももっとも重要視されていた星座です。 中国の星座が他の地域の星座と比較して際立った特徴といえるものは、星座に明確な身分制度があることです。これは天界の支配者が天の北極に位置し、それに近いものが身分が高く、離れるほど、身分が低くなるという図式です。これは中国の天文学が天文官が絶対的な支配者である皇帝のために、天文の様子を調べるという形で発展した経緯からきています。この視点で見れば、天体の日周運動は絶対的な支配者の周りを、支配されるものたちが規則正しくまわるということになり、皇帝からみると実に気分のいい配置とだったのでしょう。 ところが、天の中心である皇帝の星「帝星」は北極星である「おおぐま座α星」ではなく、少しはなれたところにある「こぐま座β星」なのです。これはこの星座配置が考えられた時代(紀元前1世紀頃?)にはこの星が天の北極に最も近い明るい星だったのが、歳差と呼ばれる現象で北極星が変わってしまったのです。中国の皇帝たちが理想の姿と考えた天宮の配置も、永久の支配者となりえなかったのは皮肉なものです

No11.「七大仙人座(Saptha Rishi mandala)」<インド>
今回ご紹介する、「七大仙人座」は北斗七星の星の並びで、この星座は有名なラブストーリーの舞台となっています。 「七仙人座」はその名のとおり、七人の仙人が星になっているという設定で、北斗の柄杓の柄の部分からマライチ(Marichi)、 ヴァシシュタ(vasishtha)、アンギラッサ(angirasa)、 アトリ(athri)、 パラスシヤ(pulasthya)、 パラアッハ(pulaaha),クラッツ(kruthu) という名がついています。7人にはそれぞれ妻がいて仲良く暮らしていたのですが、これをねたましく思ったスワハ(黄道27宿のダグシャ仙人の娘)は7人の妻にばけて不倫を疑わせる振る舞いをしました。その様子が世間のうわさになったことから、ヴァシシュッタを除く6人の仙人は妻のことが信じられなくなり、妻を離縁してしまいました。離縁された6人の妻たちはプレアデス星団になったと言われています。この騒ぎの中で、ただ1人ヴァシシュタは妻であるアランドハッチ(Arudhathi)を信じつづけました。これによって今でもヴァシシュタのとなりにはアランドハッチが寄り添って星として輝いているのです。 この二人の星が二重星として有名なミザールとアルコルで、インドでは理想的なカップルの星として今でも人気があるようです。