NO40「マカラ座(Makara)」(インド)
今回の古代人のおくりものは、インドの星座「マカラ座」です。インドといえば、古代の四大文明のひとつであり、古くから文明がさかえた場所として知られています。  
インドの星座の世界は、中国と中東アジアの中間にあることから、中国でも使われていた28宿と中東アジアで使われていた黄道12星座の両方が混在しているという不思議な状態でした。ただ単に海外ルーツの星座を使っていたわけではなく、それぞれにインド独自の神話のエピソードをつけてつかっていたようです。黄道12星座も「おひつじ、おうし、ふたご・・・・・」とつづく中東アジアでの名称のまま、インド独自の神話エピソードがついていたようです。
ただ、例外はあります。それが今回ご紹介するマカラ座です。マカラ座は、現在のやぎ座にあたる星座です。マカラというのは、インドの水の神が乗り物としてつかっている神獣で、上半身が象で猫の前足を持ち魚の下半身をしているというものです。ただマカラにはいろいろな種類があって、トラ、レイヨウ、イルカ、ワニなどいろいろな獣の特徴を持っているともいわれています。古代インドの人たちは黄道12星座を受け入れたとき、やぎ座の姿を自分たちに身近なマカラにおきかえて星座としたようです。
実はマカラは現在の日本にも存在の痕跡をのこしています。占星術でやぎ座のことを磨羯宮(まかつきゅう)というのは、このマカラという言葉からきているといわれています。また、城の天守閣に見られるシャチホコもインドから中国経由ではいってきたマカラの姿だといわれています。

NO39「ケイ惑」(中国
今回の古代人のおくりものは、ケイ惑つまり8月27日に6万年ぶりといわれる最接近となったばかりの火星です。
ケイ惑の「ケイ」は本来「螢」という文字の「虫」の部分を「火」におきかえた「火」が3つもあるという火星のためだけに使われる漢字で、赤い星、火星のイメージを如実に表しています。中国の火星のイメージとしては「ケイ惑出づれば、兵あり」という言葉に表されるように、戦乱の兆しとみることが多かったようです。これはローマ人が火星を戦の神「マルス」と名づけたのと同じく見方です。
さそり座のアンタレスを「赤さ」のライバルと見るのも、西洋と同じです。中国ではアンタレスを蒼竜という巨大な竜の星座の心臓部にあたる「心」という星座(星宿)の中心星としているのですが、赤いアンタレスに特に「大火」という別名をつけています。中国占星術ではアンタレス付近に火星が来るときが最大の戦の兆しということとなっています。
このように中国とローマでの火星の見方には共通するものも多いのですが、ユーラシア大陸の東西で情報の交流がどの程度あったかはわかっていません。
また中国では、火星の赤さを比較するものとして「サクランボ」がとりあげられます。これは中国独自のイメージといえるでしょう。

NO38「西郷星」(日本)
今回の「古代人からのメッセージ世界編」は、明治時代の庶民が大接近する火星につけた「西郷星」です。  今年、2003年8月27日火星は人類の歴史上最大の大接近を迎えるわけですが、今から126年前1877年(明治10年)の同じ季節、今回と同じみずがめ座で火星は大接近を迎えていました。 当時の日本は、最後にして最大の士族の反乱である西南戦争の真っ最中でした。西南戦争は明治維新最大の功労者であり陸軍大将であった西郷隆盛が桐野敏秋以下の薩摩軍を率いて2月に鹿児島で挙兵したもので、九州全土が戦火にさらされました。当時の人々は日々明るくなる火星と反乱軍の首魁「西郷隆盛」を重ね合わせて、火星を「西郷星」と呼ぶようになったようです。ちなみにこのときの火星のそばに寄り添うように土星が輝いていたため、これを「桐野星」(西郷の腹心の部下)と呼んだそうです。 どんどん明るくなっていく火星とは反対に、反乱軍は各地で戦闘に破れ、9月24日に鹿児島市内の城山で、西郷隆盛は最期の時を迎えることになります。西郷の死後、「遠眼鏡で火星を眺めると陸軍大将の軍服を着た西郷が見えた」という記事が新聞掲載されました。 西郷隆盛は日本史上で、「死後に星になった」という伝説を残した最初で最後の人物なのです。


NO37「アトラス座」(ギリシャ)
今回の「古代人からのメッセージ世界編」は、「うしかい座」のルーツのひとつ「アトラス座」です。6月の宵、天頂付近に見えるうしかい座はプトレマイオスの48星座に入っている古くからある星座ですが、この星座のルーツをたどろうとするといくつものなぞがある星座であることがわかっています。そもそも、うしかい座という名称にもかかわらず、つれの牛の姿はどこにもありません。また、この星座の1等星アルクトゥルスは「くまの番人」という意味で”“うしかい”と直接のつながりがありません。それでも話を結びつけるために、プラネタリウム解説の中では、「自分の飼っている牛を熊から守るため、牛を逃がしてくまに立ち向かう姿」と紹介しています。 最も不思議な部分は「うしかい」(Bootes = 「牛を動かす」の意)という名称と、この星座にちなんだ神話との間に何の関係もないことです。この星座のモデルとしてつたえられているのは、おおぐま座の話に登場する狩人アルカスと、大地を支えているという巨人アトラスなのですが、どちらも”“うしかい”とは結びつかないプロフィールの持ち主なのです。 いずれにせよ後の時代になって、この星座のとなりにりょうけん座が作られたために、星図では猟犬を連れた狩人アルカスのような絵が多くなっていますが、図のようなこの星座の星の並びだけ見ると大地をふんばってささえているアトラスのイメージの方がふさわしいように思えます。

NO36「ロバとかいばおけ座」(中近東)
今回の「古代人からのメッセージ世界編は、「かに座」の別名「ロバとかいばおけ座」です。
現在、かに座とされている領域は、古くから、「かに」と「ろばとかいばおけ」の両方の姿があてはめられていました。かにのアブクともいわれているこの星座の中心付近にある星団の名称である「プレセベ」はラテン語で「かいばおけ」(牛や馬にやる枯草を入れる桶)を意味します。このプレセペの北と南にある星が、「かいばおけ」から「かいば」を食べている2匹のロバとされています。ギリシャ神話によると、酒の神バッカスと、火と鍛冶の神ヘファイストスのものだったロバが、巨人との戦いのときに大きくいなないて巨人を驚かせたという功績をたたえて、「かいばおけ」とともに天に上げられたといいます。一方「かに座」と見立てた場合でも、ヘルクレスに倒されたおばけカニという立派な神話があります。古代ギリシャでは同じ場所に「かに」と「ロバとかいばおけ」というまったく異質なものが共存していたのです。現在と比べるとずいぶんおおらかな時代だったのです。
「かに」は星座のルーツであるメソポタミア起源であることがわかっていますが、「ロバとかいばおけ」の方は、全くわかっていません。もしかしたら、メソポタミアの星座をギリシャに伝えたフェニキア(現在のイスラエル付近)のルーツなのかもしれません。
いずれにせよ、現在の星座88が決められる際に、「プレセベ」という星団名を残して、「ロバとかいばおけ」は星座の世界から消えてしまいました。

No.35 「填星(ちんせい)」(中国)
今回の「古代人からのメッセージ世界編」は、先月に引き続いて土星の名称で、今回は中国での名称「填星(ちんせい)」です。
中国では、古くから「土星」という言葉とともに「填星」(「鎮星」ともいう)という名称が、平行して使用されていました。これは土星(どせい)に限ったことではなく、木星を「歳星」と呼ぶなど、古くから知られている5惑星はそれぞれに別名をもっていました。「土星」「填星」どちらも中国で主流であった五行思想の考え方からきています。五行思想というのは、万物が「木」「火」「土」「金」「水」のどれかの性質で表されるというものです。つまり土星は5惑星のうちで「土」の性質にふさわしい惑星として命名されたのです。五行思想の「土」とは「黄色」がイメージカラーで、東の「木」、南の「火」、西の「金」、北の「水」に対して「中央」を割り当てられていて、「填星」という神に支配されているといわれています。「填星」というのはこの土(つち)の性質を支配する神の名前なのです。「填星」という言葉のいわれについては詳しくはわかりませんが、填とは「うずめる」、「みたす」の意味で「土」「中央」というイメージからの連想でつけられた名称かもしれません。
さて五行の中の最高とされるのは「中央」である「土」でした。中国では「土」の色「黄色」は最高の色で皇帝だけが黄色の服を着ることができたといわれています。惑星の中で地味なこの星に、どうしてこんな名がついたのでしょうか?これは一説には土星が天文学・占星術で重要視された28宿を1年にひとつづつ移動していく周期29.53年)という天体の運行が曰くありげだったからともいわれていますが、色が黄色)に近いのが土星だったという単純なものだったのかもしれません。

NO34 「クロノス」(ギリシャ)
今月の「古代人からのメッセージ世界編」は、土星の古代ギリシャでの名称「クロノス」です。
古くから知られている5惑星の中で、木星は金星と並んで飛びぬけた明るさで輝いていることから常に注目の天体でした。古代ギリシャでは、惑星を身近な神々の名で呼んでいましたが、星座の星々の間を忙しく移動していく金星を美の女神「アフロディーテ」、常に変わらぬ輝きで、黄道12星座の上を1年に1つづつ悠然と移動していく木星を神々の主神である「ゼウス」としていました。
これに対して土星は、安定した明るさで輝いていること、黄道の上を悠然と運行する(1周30年かかる)ことは木星と似ているものの、明るさは5惑星で最も暗く、地味なキャラクターといえます。この土星をギリシャではクロノスと呼んでいました。
クロノスはゼウスの父であり、かって神々の世界で王として君臨していました。しかし、神々の王の座をめぐって、息子であるゼウスと神々の世界を二分して争い、長い戦いの末、破れて地の底に押し込められてしまったのです。
ここ数年、冬の宵空に木星・土星が並んで見えていますが、燦然と輝く木星に対して、鈍い輝きの土星は、まさに敗残の王「クロノス」のイメージどおりの星といえます

NO33「井」(中国)
今月の「古代人からのメッセージ世界編」は、ふたご座の中国での星座名「井」宿です。
以前にもご紹介しましたが、中国星座では西洋の黄道12星座の領域を28に分割して、二八宿と呼ばれる小さな星座を作り、28個の星座を7個づつ4つのグループに分けて、青龍、白虎、朱雀、玄武とよばれる方角を司る四獣の巨大な姿を描いていました。今回紹介する「井」宿は、その中の朱雀を構成する星座で、ふたご座の胴体から足の部分にあたります。
この星座で注目されるのは名称のルーツで、この星座を構成する8つの星が(かなりいびつですが、)漢字の「井」の字のように並んでいるところからきていて、天上の井戸を現しています。このような星の並びが文字に似ていることから星座名が生まれる例は、世界中の古代星座を見渡しても珍しいといえます。
 この星座は別名「東井」と呼ばれていますが、この意味は中国星座の原典のひとつである詩経に「井星ハ参ノ東ニアリ、故二東井ト称ス」とあり、目立つ参(オリオンの三ツ星)の東側にあることからこの名称となったとされています。

NO32「オシリス座(Osiris)」(エジプト)
今月の「古代人からのメッセージ世界編」は、オリオン座のエジプトでの星座名「オシリス座」です。
明るい星が輝く冬の夜空の中でも、ひときわ目立つオリオン座は洋の東西を問わず、目立つ名前がついていました。古代エジプトでは神話の中で主神格であるオシリスをオリオン座の領域に描いていました。
オシリスは太陽神ラーと天空の女神ヌトの間に生まれ、地上に降りてエジプトの国王になりました。オシリスは妻の女神イシスや知恵の神トトに補佐され、人民に小麦の栽培をはじめとする農耕を教え、法を尊び神々を敬うよう導き、人々の敬慕の的となりました。
このことを快く思わないオシリスの弟セトとその一味は陰謀を企てて、オシリスを暗殺し、遺体をナイル川へと投げ込みました。妻のイシスはオシリスの遺体を探索し、魔術の力により蘇生させることを試み、オシリスは死者の国に君臨する神として蘇ることとなりました。また、オシリスとイシスの子であるホルスは、父を暗殺したセトと、神々を世界を二分する戦いを繰り広げ、最終的に勝利を勝ち得ることができました。なお、歴代のエジプト王はこのホルスの化身として、エジプトを統治していました。また、現在使われている、オリオン(Orion)の名称のルーツは、この「オシリス」からきているのではないかといわれています。

NO31 「マタリキ座(Matariki)」(ニュージーランド)
今月の「古代人からのメッセージ世界編」は、プレアデス星団"すばる"のニュージーランドでの
星名です。
ニュージーランドに住むマオリ族は、おうし座にあるプレアデス星団"すばる"をマタリキ(Matariki)という名前で呼んでいました。マタリキとは"小さな目"を意味する言葉で、女性の名前です。マウリ族の人々はプレアデス星団の星々をマタリキと6人の娘と見立てていたようです。
マオリ族の暦では、このプレアデス星団が宵の空に姿を現すようになってから最初の新月の日を新年としていました。ちなみに今年(2002年)は6月19日でした。マオリ族ではこの日の夜明け前に7人の女性が未来の幸せを願う歌と、過ぎ去った過去に涙する歌を歌って新年を迎えていました。また儀式のお供えとして、いもの新芽を供えることによりマタリキと娘たちに、収穫物の見張りと保護をお願いしていたようです。
現在、ニュージーランドではこのマウリ族の新年行事全体をマタリキと呼んで、ニュージーランド固有の文化として注目されるようになってきています。ちなみにニュージーランド産の赤ワインにも"マタリキ(Matariki)"の名前が付けられています。