No.60 「カバ座」(りゅう座、エジプト)
 古代文明の中には、身近な動物を擬人化して神としてあがめていた例が少なくありません。しかしながらカバを神の姿としたのはエジプト人だけだと思われます。このカバの姿をした神の名は「トゥエリス女神」といいます。トゥエリス女神は正確に言うとただのカバでなく、ライオンの足とワニの尻尾を持ち、妊娠しているメスのカバの姿とされています。
 堂々とした、その風貌のとおり、神々の「おっかさん」のような役割で、女神たちを後見する立場にありました。しかしながらオシリスなどと違って、王権と結びつくことが少なく、庶民から信仰を集めていたようです。そのことにより、エジプト文明の衰退とともにオシリスなどの信仰は衰えたのに対して、トゥエリス女神に対する信仰は脈々と続きました。ナイル川の増水期に供え物をトゥエリス女神に捧げる習わしは、1961年にアスワンハイダムが完成するまで続いたそうです。
 エジプトのデンデラ神殿の天井にある紀元前千年頃に描かれたとされる星図などには、現在のりゅう座付近に、このカバの姿をした女神の姿をみることができます。


No.59 「犬小屋座」(おとめ座、メソポタミア)
 黄道12星座のおとめ座を構成する星々の中には、現在のおとめ座のイメージにはそぐわない星名がいくつかあります。β星のザビジャと、η星のザニジャーはいずれも語源はアラビア語の「犬小屋・かど」という言葉です。またアラビアではε・δ・γ・η・βを繋いで描く曲線を“吠える動物の区域”という意味の“ザウイアト・アル・アウワム”と名づけていました。この「犬小屋」星座のルーツは古代メソポタミアの時代に遡ることができるといわれています。
 古代メソポタミアではしし座は大きな犬という意味のウル・グラと呼ばれていました。それが時代が進むにつれてウル・ア(しし)とかわっていったようです。それに対しておとめ座はα星のスピカのあたりに麦の穂だけがあったようで、しし座に近い領域は、ウル・グラのすみかとされていたようです。やがておとめ座領域全体に麦の穂を持つ乙女の姿が描かれるようになったのですが、犬小屋のイメージは残って、星の名前にその名残をとどめています。
 

No.58 「破軍(はぐん)」(おおぐま座、中国・日本)
 北斗七星は中国・日本では特に注目されていた星の並びで、北斗を構成する星のすべてに固有の名称をつけていました。これは北斗が天の北極を指し示す目印であると同時に、季節や時間を知るための目印としていたからです。
 柄の先の開陽から揺光へ伸ばした直線の延長線(春の大曲線のカーブではない)がどの方角にあるかを見るものです。、例えば宵のころの「斗柄、東を指せば、天下 皆な春、斗柄、南を指せば、天下 皆な夏・・・・」などと言う具合で、応用すれば、夜間におおよその時刻を知ることできます。
 この北斗の指す方向は中国の兵法の上でも大きな意味を持っていました。北斗の柄の先の揺光は「破軍」という別名があり、次のように言われていたようです。
「破軍星の方向に向かって戦いを挑めば必ず負け、破軍星を背にして戦えば必ず勝つ」
 こうした意味づけの根拠は、北斗を神聖視する思想と同根のもので、「天を味方につけて戦うものが勝つ」というものだったと考えられます。

No.57 「軒轅(けんえん)」(しし座、中国)
 4千年とも5千年ともいわれる長い歴史を持つ中国文明に伝わる神話の中で、すべての中国人の祖先とされている人物が「黄帝(こうてい)」です。「黄帝」は中国神話において理想的な君主とされていた三皇五帝の中で最も有名な人物で、黄帝の墓とされている黄陵には現在の中華人民共和国の指導者も毎年参拝しているほどです。
 黄帝は後世の人がつけた尊称で本当の名は「軒轅」です。軒轅は「少典」という人物の子で幼少の頃から神童として知られていましたが、長じて「炎帝(えんてい)」と天子の座をかけて「坂泉(ばんせん)の野」で戦って、勝利をおさめたとされています。
 天子となった軒轅は、天子として君臨した後、その最期は家臣たちと一緒に天から迎えに来た竜の背に乗って昇天したとされています。
その竜の姿とされているのがしし座の「大鎌」の部分から北側のやまねこ座にかけての領域で、「軒轅」という星座となっています。軒轅の北は天の世界の支配者が住むといわれている「紫微宮(しびきゅう)」で、春の星空は竜の背に乗り、天へ昇っていく軒轅とその家臣たちを眺めるのにふさわしいアングルとなっています。
 一説によると、軒轅は本当は竜神で、本来の姿に戻って天の世界へ戻っていったともいわれています。


No.56 「鬼宿」(中国) 
 かに座はその中央にプレセペ星団というぼんやりとした光で輝く星々があるために、古代中国では鬼宿という名前がつきました。中国の「鬼」とは日本で言う角の生えて棍棒を持っている鬼ではなく、亡霊のことで、ぼんやりとしたイメージがこの星座にあてはめられたのでしょう。
 鬼にしても亡霊にしてもあまりイメージがよくないのですが、なぜか27日に一度巡ってくる「鬼宿日」と呼ばれる日は、もっとも縁起のいい日とされています。「鬼宿日」とはもともと月がこの鬼宿に宿る日のことで、お釈迦様がこの「鬼宿日」に生まれたとされることから、縁起のいい日とされるようになったようです。日本でも七五三の行事のルーツは、江戸時代に旧暦の鬼宿日となる11月15日に行われていたのがはじめのようです。
 さて、なぜお釈迦様が生まれた日に月が鬼宿にあったといわれるようになったかですが、プレセペ星団のみかけの姿が釈迦の胸にある「卍」模様に似ているからだという説がありますがいかがなものでしょうか。
 

NO55「アガスティヤ(Agastya)」(インド) 
 日本から、南の地平線ぎりぎりの高さにみえるカノープスはインドではアガスティヤという名で呼ばれています。アガスティヤは南インドを代表する仙人の名でよばれています。この仙人は水の神の子で、神通力で末来のすべての人類の運命を予言して葉っぱに書き残したとされています。また不老長寿の力をもって今も南インドの山奥で生きているといわれている人気の高い仙人です。この仙人の石像や絵は南インドに広く見られ、いずれも肉付きのいい顔とでっぷりと出たお腹を持っています。
 わが国で年賀状のデザインなどに使われる七福神の寿老人と福禄寿はいずれもこのアガスティヤのイメージが中国経由で日本まで伝わったものと考えられます。ちなみに中国では前漢(紀元前221〜後9)に首都の長安の郊外に寿星祠として祭られ、国家の安寧と寿命の延長が願われたそうです。

No.54 「亀」(東南アジア&日本)
 冬の星座の中の代表格オリオン座は、タイなど東南アジアの国々では広く亀座として親しまれています。図のようにオリオン座全体を亀と見て、三ツ星、子三ツ星の部分を農機具である鋤(すき)と見ています。なぜ亀の甲羅(こうら)に鋤があるのかということについては特にエピソードは残っていないようです。
 さて、わが国で亀のでてくるお話と言えば浦島太郎です。このコーナーのNo.21では、浦島太郎のお話にプレアデス星団とヒアデス星団が登場することを紹介しましたが、実はオリオン座も登場しているようなのです。オリオン座のお話の中での名前は亀姫です。亀姫と言えばなじみがないかもしれませんが、竜宮城の主の乙姫の原型と言えばわかっていただけると思います。プレアデス星団、ヒアデス星団、オリオン座の位置関係から考えて、当時の日本にはオリオン座を亀と見る見方がベースとしてあって、浦島太郎の物語ができたと考えることも不自然ではありません。当時の日本は中国の星座を主に使っていましたが、黒潮に乗って東南アジアの文化も伝播していることもよく知られています。
 古代の人たちは水平線から昇ってくる、オリオン座を見て、海の底の亀姫の宮殿をイメージしたのかもしれません。