テーマ「主はあなたの羊飼い」
みなさんに、イエス・キリストというお方を紹介します。聖書の詩篇23篇1〜3節にこう記しています。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」
(1)主は私の羊飼い
羊飼いはどのような仕事をするのでしょうか。羊飼いは、牧草がある場所に羊を導きます。また、大切な水のあるところに連れていき、そこで、羊たちをゆっくり休ませます。この話の舞台となっているイスラエルという国は、日本と違い、どこにでも水があるわけではありません。相当、土地勘がないと、水のある場所にたどり着けないわけです。羊飼いは、いつも牧草のある場所、水の飲める場所を考えながら、羊を導きます。そして、羊飼いは、昼も夜も、身の危険も顧みず、羊を狙う敵から羊を守ります。
詩篇23篇1節には「主は、私の羊飼い」と記しています。主とは、私たちの人生を導く主人であるイエス・キリストのことをさしています。そして、私たちのことを羊に譬えています。イエス・キリストは私たちを導く羊飼いです。
イエス・キリストが私の人生を導く羊飼いなのです。私たちが、イエス・キリストについていくならば、まちがいありません。神様の望まれる生き方、神様に祝福された生き方をすることができるからです。
(2)羊なる私たち
しかし、私たち人間は、羊のように、頑固で、すぐに道に迷います。また、羊には自分の前にいる羊についていく性質があるように、私たちも、すぐに目の前のものについていく傾向があります。もしまちがった方向に進んだとしても、それに気づかずに、結局、周りに合わせて、間違った歩みをしてしまいます。その先には滅び、死があるにも関わらず、進んでしまうのです。
もし群れからはぐれてしまったならば、寒さや外敵に狙われて、死んでしまいます。あなたは自分の気持ちだけを優先してしまい、自分勝手な生き方をして、真理から離れていませんか。人生をさまよい、結局、自分の思い通りいかず、疲れ、挫折し、この先どうしたらよいか、途方に暮れていませんか。あなたの魂は、義しい道に導いて下さるお方を求めていることに、気がつきませんか。
(3)私たちを導くイエス・キリスト
私たちは自分の気持ちや考えだけを優先するために、結局、人生の迷子になり、さまよっているものです。しかし、羊飼いであるイエス・キリストは、そんな私たちを、捜し見つけて下さいました。しかも、いのちを顧みずに私たちのところにきてくださったのです。
詩篇23篇3節には、「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」とあります。
イエスは、私の滅びに向かっているたましいを生き返らせるために、十字架に架かり、ご自身の死と引き換えに、私たちを救って下さいました。
イエスは道にさまよっていたあなたをどこまでも捜し、あなたが義しい道に歩むことができるように、生涯、あなたを導く羊飼いとして、あなたのもとに来られました。
あなたは、ただただ、あなたの羊飼いであるイエス・キリストについていく、イエス・キリストを信頼し、イエス・キリストと共に歩んでいくだけでいいのです。それこそが、神様の望まれる生き方、神様から祝福される生き方なのです。
私は、羊飼いであるイエス・キリストに従うことは、間違いのない生き方だと言うことを、自分自身の経験からも確信しております。あなたは、神様から祝福を受ける人生を歩むことができるのです。
ぜひ、イエス・キリストをあなたの人生の羊飼いとして、お迎え下さい。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」